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東京地方裁判所 昭和53年(ヨ)4744号 決定

甲事件債権者 林愛子

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 田宮甫

同 堤善成

同 齋喜要

同 濱崎正己

乙事件債権者 岡本四郎

同 蜷川よし

右両名訴訟代理人弁護士 五十嵐敬喜

同復代理人弁護士 菅原哲朗

甲乙両事件債務者 チャールス・ファーム

右訴訟代理人弁護士 高木正也

甲乙両事件債務者 株式会社 大志

右代表者代表取締役 清水源次

乙事件債務者 島藤建設工業株式会社

右代表者代表取締役 佐藤菊雄

右両名訴訟代理人弁護士 奥毅

主文

甲事件債権者らの甲事件申請及び乙事件債権者らの乙事件申請をいずれも却下する。

申請費用は、甲乙事件とも各自の負担とする。

理由

一  申請の趣旨

1  甲事件

甲事件債務者らは、別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件土地という)上に建築予定の、建築主事飯塚正三の昭和四九年四月一〇日付確認番号第二二七七号確認にかかる同目録(二)記載の建物(以下本件確認建物という)について、容積率一八八パーセントを超えて建築をしてはならない。

2  乙事件

(本位的申請の趣旨)

乙事件債務者らは、右本件土地上に建築予定の右本件確認建物について、容積率一八八パーセント以上の建築物を建築してはならない。

(予備的申請の趣旨)

乙事件債務者らは、右本件土地上に建築予定の右本件確認建物について、別紙図面(A)(一)ないし(八)の赤斜線で特定される部分の建築をしてはならない。

二  認定事実

疎明資料及び審尋の全趣旨によれば、次の各事実を一応認めることができる。

1  当事者

甲事件債権者ら(以下単に債権者林らという)は、別紙物件目録(三)1記載の土地及びその地上の同2記載の建物(以下債権者林ら宅地及び債権者林ら建物という)を、林愛子が持分六分の二、林智雄が持分六分の三、林照雄が持分六分の一をもって共有している者であり、林愛子及び林照雄が現にこれに居住している。

乙事件債権者岡本は、別紙物件目録(一)記載の本件土地の東隣地に存在するマンション「アーバンライフ」(以下単にアーバンライフという)の西北角二階部分を所有してこれに居住し、同債権者蜷川は同じく西北角三階部分を所有してこれを他に賃貸している者である(以下右両債権者を総称して債権者岡本らともいう)。

両事件債務者チャールス・ファーム(以下単に債務者ファームという)は、別紙物件目録(一)記載の本件土地を所有し、同債務者と両事件債務者株式会社大志(以下単に債務者大志という)は両者間のいわゆる等価交換による建物建築契約に基づき共同施主としてその地上に建物を新築しようとしている者、乙事件債務者島藤建設工業株式会社(以下単に債務者島藤という)は右両者から請負って右新築工事を施工しようとしている者である。

2  本件建築工事の経緯

債務者ファームはもと本件土地上に木造二階建居宅二棟を所有し、うち一棟を他に賃貸し(昭和五二年二月末日まで、以後は空家)、他の一棟の一階部分を申請外北浜謹治に賃貸し二階部分に自ら居住していたところ、これらを取毀したうえ同地上にいわゆる等価交換契約によって鉄筋コンクリート造共同住宅を新築することを計画し、昭和四八年一〇月五日申請外東京住邸株式会社と建築契約を締結したうえ、昭和四九年四月一〇日確認番号二二七七号をもって建築主事の建築確認を得た。その建築建物の概要は別紙物件目録(二)及び別紙図面(A)(一)ないし(八)(赤斜線部分を含む全部)各記載のとおりである(以下これを本件確認建物という)。

ところが右計画は、本件債権者らを含む付近住民の反対や右旧建物に賃借人がいること等の事情から、右契約が解消になり、その後他の業者との間で同種の契約を交わそうとしたが、一たん成立した契約が解消になったり締約に至らなかったりで、着手しないまま経過するうち、昭和五二年一〇月二四日懸案の前記北浜の明渡し問題につき同月末日限り明渡す旨の和解が成立したので、債務者ファームは申請外日本ヘルス工業株式会社との間でとりあえず旧建物の解体と機械据付工事だけの請負契約を締結し、同年一〇月一八日から同年一一月二〇日にかけて旧建物二棟の解体工事を施行し完了した。この間右申請外会社は、本件土地の片隅に新築工事用の杭をとりあえず一本だけ打ち込むべく、一〇月二八日杭打機械を搬入し、同月三一日掘削工事を開始したが、地層の関係で掘削に手間取り、同年一一月五日になってようやく鉄筋挿入、コンクリート打設をして右杭打を完了した。

その後建築本体工事については契約に至らず、本件土地は右工事を了したままの状態で推移したが、昭和五三年二月二三日債務者ファームはあらためて債務者大志との間で等価交換による建築契約を締結し、債務者島藤に建築工事を請負わせ、次いで本件債権者らとの間で日照等問題に関する交渉が持たれたが解決しないまま、債務者らは同年六月から本件確認建物の建築工事に着手し、よって本件仮処分申請をみるに至った。

右のとおり債務者らは前記確認どおりの建物(地上五階建)の建築を企図していたが、本件審理の最終段階において計画を変更し、別紙図面(B)(一)ないし(四)のとおり建物の規模を縮少(最上階をカットして地上四階建とし、かつ東南角の約四メートル×三・五メートルの部分のみ地上一階とする)して建築する旨の意向を明らかにした。右変更後の建物の容積率はほぼ二三二パーセントと推計される(甲事件疎甲第二九号証参照)。(以下この消減した建物を本件変更建物という。なお以下単に本件建物というときは右変更の前後を問わず本件土地上に建築予定の建物の意である。)

3  地域性等

本件土地に関する都市計画上の規制は次のとおりであり、債権者林ら宅地及びアーバンライフの敷地についても同様である。

用途地域 第二種住居専用地域

高度地区 第三種高度地区

防火関係 準防火地域

容積率 三〇〇パーセント

但し本件土地の前面道路の平均幅員はほぼ四・七メートルであるから、昭和五一年法律第八三号による改正(同年一一月一五日公布、昭和五二年一一月一日施行)前の建築基準法五二条によれば許容容積率はほぼ二八二パーセントに、右改正後の同法条によれば許容容積率はほぼ一八八パーセントに規制されるところ、本件確認建物の容積率はほぼ二七四・七パーセント、変更建物のそれはほぼ二三二パーセントであるから、同法三条二項により、右改正法の施行日である昭和五二年一一月一日に本件建物が現に建築工事中でなければ、即ち建築工事に着工していなければ、その建築は建築基準法上許容されない、ということになる。

本件土地は通称青山通りから南方へ約二〇〇メートル、通称外苑東通りから東へ約一〇〇メートル入ったところにあり、付近には大使館等も存在するいわゆる高級住宅地であるが、すぐ西側は都市計画上住居地域、容積率四〇〇パーセントの地域となっていて、本件土地の真北方即ち債権者林ら宅地側は一般に低層住宅であるものの、本件土地の東隣には地上七階建のアーバンライフが、西隣には五階建建物(最近完成)が、その更に道路を隔てた西側には七階建、その向い側には八階建、七階建各建物が、本件土地に近い南方には五、六階建建物が存するなど、付近には中高層建物がかなり建ち並んでいる。

4  本件変更建物による債権者林らの被害

債権者林ら宅地は本件土地と幅員四・七七ないし五・五メートルの道路を隔ててその北側西寄りに位置し、地盤面は林ら宅地が本件土地より約二・七メートルほど高い(甲事件疎乙第一八号証参照)。その相互の位置関係と本件変更建物が林ら建物敷地に及ぼす冬至日における日影は、甲事件疎乙第八号証(時刻は標準時、本件土地のGL(グランドレベル)より四・八五メートル高い平面、即ち林ら宅地のGLより約二・一五メートル高い平面における日影線図であり、現実に林ら宅地に落ちる日影線はこの線より二・一五メートル高分長くなる。なお同図面と対比すべき乙事件疎甲第三二号証は真太陽時によるものであるが、本件土地GLにおける日影線であるから、林ら宅地に現実に落ちる日影線はこの線より約二・七メートル高分短かくなる)により示される。即ち、午前八時(標準時、この項では以下同じ)から午前九時までの間は林ら建物敷地(建物垂直投影面の意、以下同じ)のほぼ全部に日影が及ぶが、九時以降日影は次第に敷地東側部分に限定され、午前一〇時には敷地の東側半分弱に、午前一一時には東南端の極く一部に限定され、一一時を過ぎると間もなく全く日影が及ばなくなる。そして一〇時以降の日影は比較的浅い(敷地の南側部分しか覆わない)から、季節が冬至から外れると比較的容易に日照が回復される。春秋分時においては敷地への日影は全く及ばない(乙事件疎甲第四号証参照)。

本件土地の東隣に存在するアーバンライフにより、林ら建物敷地の冬至における日照は、午前八時においてその大半が、また午前九時前まで部分的に、既に奪われている(甲事件疎乙第一四号証)から、この限度での日照阻害は本件建物建築と因果関係がない。

他方、本件土地の西隣に最近完成した五階建建物による林ら建物敷地への日影が、午前一〇時ころに敷地の西側部分から始まり、次第に影の幅を広げて午後一時には敷地南面の全域に及びこれが午後三時すぎまで続く。即ち本件変更建物による日照阻害が午前一一時すぎに全くなくなっても、その後の日照は右の限度で奪われることになる。しかしその日影線は極めて浅い(敷地南端部分しか覆わない)から、日影はほとんど林ら建物の一階部分に限定されるし、季節が冬至から外れることによって極めて容易に日照が回復されるものと推測される(甲事件疎甲第四一号証参照)。しかも債権者林らは右建物の建築については承諾を与えている。

5  本件変更建物による債権者岡本らの被害

債権者岡本らがその一部を所有するアーバンライフは本件土地の東側南寄りに位置し、その同債権者ら所有部分と本件土地、建物の位置、高さの関係は、乙事件疎乙第二号証及び同疎甲第三四号証に示される。即ち、本件土地東側境界線と本件建物東側外壁との間隔は狭いところ(北寄り)で約〇・五メートル、広いところ(南寄り)で約一・一五メートル、本件建物東側外壁と岡本ら宅西側外壁との間隔は狭いところ(北寄り)で約二・四メートル、広いところ(南寄り)で約三・一メートルしかなく、岡本宅の床面は本件建物の一階床面と二階床面とのほぼ中央に、蜷川宅の床面は本件建物の二階床面と三階床面とのほぼ中央に相当する。そして本件変更建物による岡本ら宅への日照及び天空の阻害の状況は、乙事件疎乙第二号証(本件確認建物による日影図)及び同疎甲第三二、第三三号証により推測される(なお第三三号証の緑色の線で示されるものは、本件変更後の建物よりもさらに建物東側半分を地上三階に削減した場合の半天空図であるが、本件変更建物による半天空図との差は微差と推認される)。即ち、岡本ら宅はアーバンライフの北西角に位置するためもともと日照は午後の西日を西側の窓とベランダで得るしかなかったところ、本件確認建物によれば、冬至日において午後一時(真太陽時、この項では以下同じ)からベランダへの日影が、午後三時から窓への日影が始まり、季節が冬至から外れるほど日影の始まる時刻が早まる(乙事件疎甲第四、第五号証参照)こととなり、そして右開口部からの天空が極めて大きく奪われる関係にあったが、変更建物によれば、岡本ら宅の右開口部に正体する本件建物の東南角部分が地上一階とされたため、冬至日において本件建物の日影は右開口部にほとんど及ばないこととなる(乙事件疎甲第三四号証に示される高低関係に照らし、右東南角の一階部分の影は右開口部にかからないものと推認される)うえ、奪われる天空も大幅に減少するところとなった。

三  当裁判所の判断

債務者らは、前示のとおり、本件土地上に当初本件確認建物を建築すべく企図していたが、本件変更建物に計画を削減する旨を明らかにした。右変更が行政上の建築規制に対する関係でいかなる意味を有するかはともかく、これにより当裁判所は債務者らが右変更建物の規模を超えて建物を建築するするおそれはないものと認めるから、本件においては右変更建物の建築が本件債権者らに対する関係において許されるか否か、即ちその建築の債権者らに及ぼす日照阻害等の被害が債権者らの受忍すべき限度を超えるか否かを判断すれば足りる。

そこでまず債権者林らとの関係について考えるのに、林ら建物は二階建、本件変更建物は四階建であるが、前示のとおり林ら宅地は本件土地より約二・七メートル高いうえ、両地の間に幅員五メートル前後の道路が存するため、双方の建物の高さの差に比して日照阻害は限定される。前示のとおり冬至日においても敷地に日影の及ぶ時間は午前八時から午前一一時すぎまで日射エネルギーの低い午前中三時間強に限度され、このうち敷地の過半が日影内にある時間はおおよそ午前九時三〇分ころまでの約一時間半にすぎず、しかもその時刻以降の日照阻害は冬至をはさむ短期間に限られるのである。そして午前一〇時ころ以降本件土地西隣の五階建建物による日照阻害を受けるのであるけれども、その被害はさほど甚大ではないうえ、同建物に対し同債権者らは承諾を与えているのである。また、本件土地が東隣七階建、西隣五階建の建物にはさまれている状況、前項3に判断したところに照らし本件地域が住居一階部分において冬至の季節に充分な日照が確保されなければならない地域性を具有するものとは認め難いこと、その他前記諸般の事情に照らし、右程度の日照阻害は建築の差止請求を肯認しうる程度に同債権者らの受忍の限度を超えるものとはとうてい解しえない。

因みに、本件審理過程における和解勧試において、債権者林らは本件建物の西側半分を地上四階、東側半分を地上三階にするならばこれを承諾するとの意向を示したのであるが、本件建物による日影は、午前九時ころ以降は主として本件建物西側部分による影が林ら建物敷地の東側部分に落ちるという関係にあるから、本件建物の東側半分が三階であるか四階であるかは、林ら建物敷地部分に対する日影に関する限り極めて微々たる差異しかもたらさないのである。

ところで、前項2に認定したところに照らせば、前示建築基準法改正法の施行日たる昭和五二年一一月一日において本件建物建築の着工があったといえるかは疑問の存するところであるが、この点の如何は右判断を左右しないから、本件においては右着工の点についての判断はしない。けだし、日照阻害等を理由とする私法上の建築差止請求において、当該建築が公法上の規制に適合しているか否かは、一般に違法性ないし受忍限度判断の重要な要素ではあるけれども、公法上の規制に違反しているとの一事によって直ちに差止請求が認容されるわけではなく、当該規制の趣旨や当該建築による具体的被害との対比において相対的に考慮されるべきことがらである。しかして建築基準法五二条が建物の容積率の規制をしている趣旨は、建築物の過密化を避け適当な都市空間を確保することを目的とするものであるが、このうち当該地域の都市計画上の用途地域と容積率の指定に応じて規制値を定める部分は、当該地域の地域性に応じて、地域の日照、通風、採光、解放感といった住環境を保全することを直接の目的の一つとするものと解されるのに対し、前面道路の幅員により規制値を定める部分は、直接には、狭い道路に面して大きな容量の建築物が建築されることによって発生する交通量の不完全処理、交通渋滞を防止し、道路面下に埋設される上下水道、ガス管等の施設による供給、処理能力の不足などの問題に対応することを目的とするものであって、この規制によって隣接住民の個々が受ける右日照等の利益は、いわば反射的利益たる側面が強いものと解される。従って日照等の阻害を理由とする私法上の差止請求における判断要素としての意義は、後者の場合前者に比しはるかに低いものといわなければならず、そして前示被害の程度をもってしては、前示判断をするにつき前記着工の如何の判断を経る要をみないと解するからである。

次に債権者岡本らとの関係について考えるのに、前示のとおり本件建物の削減により本件建物建築による同債権者ら宅の主要開口部に対する日照阻害はほとんど回復され、かつ同開口部からの天空阻害も大幅に緩和されたのであり、同債権者ら宅が地上七階建高層建物の一部を構成し、かつその北西角の低層部に存してもともと日照、採光等の上で極めて不利な状況にあるものであることを考えると、なお残存する程度の日照、採光、天空、通風等の阻害は、とうてい同債権者らの受忍限度を超えるものとはいえない。因みに本件審理過程の和解勧試において、同債権者らは本件変更建物の建築を承諾する旨を表明した。前記着工の問題が右判断を左右しないことは、前記と同様である。

四  結論

以上の次第であるから、本件甲乙両事件とも、債権者らが本件変更建物の建築差止めを求める権利を有することにつき疎明がなく、かつ本件確認建物のうち本件変更建物を超える部分については債務者らがその建築をするおそれの疎明がなく、結局被保全権利の疎明がないことに帰し、保証を立てさせて右疎明にかえることも相当でないから、債権者らの各申請はいずれもこれを却下することとし、申請費用につき民訴法八九条、九〇条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 濱崎恭生)

〈以下省略〉

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